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自己管理で人生を切り開け

ゴミがなんとかして自己管理で這い上がる日記

本当に体調が悪かったんだな、俺

昨日は2時間だけやって体調の回復に全力を尽くした

 

さっき起きたばかりだが、起きて10分もせずにブログを書き始めてるのは俺の中ではいい証拠。

 

ブログが起動の合図なので。

 

いいからやれよ、それ以上考えるべきことはない。

 

 

 特に処方されたステロイドの発作止めが効いている

最近ずっと朝方に喘息がおきるせいで何時に寝ても朝方に起きてしまい睡眠の質が低下して発作の起きない昼寝を挟んで夜寝れないという本当に悪循環だった

 

また、昨日はビクトールフランクの夜と霧を読んで少し気分のリフレッシュを計った。

 

やっぱり読書は大事だなって思った。

質の低いネットの毒情報をいれるくらいなら、起きたらまずニュースや読書の価値の高い情報をいれる必要がある。

 

少し、フランクの言葉を引用しておく

 

苦悩を超越しなければならない。意味のある仕方で苦悩する事が出来るのは何かの為、誰かのために苦労するだけである。つまり苦悩は意味で満たされるためには、自己目的であってはならない。自己目的になったとたん、どんな苦悩への覚悟、犠牲への覚悟もマゾヒズムに転化してしまう、意味に満ちた苦悩とは 何かの為の苦悩なのである。

私達は苦悩を受け入れることによって苦悩を思考するだけでなく苦悩を通り抜けて苦悩と同一でない何かを思考する。苦悩を超越するのだ

 

人生が人間に問いを発してきている。したがって人間は、人生の意味を問い求める必要は無いのだ。人間は寧ろ、人生から問いかけられているものなのであって、人生に答えなくてはならない。人生に責任を持って答えなくては成らないのである。

そして人間が答えるこの答えは、人生からの具体的な問いに関する具体的な答えでなくてはならない

 

フランクは愛こそ

という語り口で「実存的空虚」=満たされているはずなのにどこか虚しい

という事について語った。超越であり、超越することで人生からの問いに答えられるのだと。

 

陳腐な話だが、愛こそ というのは美しいな と思った。

 

俺は今まで色んなことを科学で分析することが多かった。

人を愛する という気持ちは愛で遺伝で ドーキンスに言わせれば遺伝子の乗り物である遺伝子の戦略である と

 

しかし、何でも科学で片付けるのはやめよう。

結局科学というのは俯瞰体系である。俯瞰のしすぎは人生をつまらなくする。

科学という主語肥大化のツールは少し、使うには強力すぎる。

 

そして、苦悩こそが実存的空虚に対する超越であると

 

俺は愛されてると思う 友達からも 周囲からもきっと愛されている

 愛されていないとしても 何かが俺を待っていると思う

それは人かもしれないし、なすべきことかもしれない

俺抜きではあり得なかったことが人生の先で待っている

 

愛情は強力なツールだ。やる気をぎゅんぎゅん引き出す。

 

今日は気分がいい。

天気も久々に少し晴れ間がのぞいている。

 

薬の服用をやめておこうと思う 

SSRIは脳内のセロトニン濃度をあげるわけだが、逆にセロトニンが出すぎて

ドーパミンが抑制されてリラックス過多になっている気がする

なのでセロトニン症候群といわれるやる気喪失状態な気もする。

 

さて、今日も楽しもう。

13時から勉強をします。

 

13時から研究室行ってやろうかな。あんまり家にいすぎるのもよくない。

環境を変えよう。

 

8時間、こなします。